JR西熊本駅から熊本港へ
「近見」交差点→薄場橋→小島橋→熊本港大橋
海だった熊本市の中心部
約9万年前、有明海の海面は今よりも数十メートル低かったという。そこへ阿蘇の大噴火が起こり、熊本市域には最大で50メートルほどの厚さの火砕流が堆積した。2万年前ごろになると温暖化により海面が上昇し、6000年前ごろには現在より2メートルほど水位は高く、海岸線は東側で延びていた。渡鹿(中央区)や沼山津(東区)、川尻などの辺りまで湾が入り込んでいたという。縄文時代に海面が下がり、河川が上流部から河口部に運んできた土砂が堆積して生み出された沖積平野が、熊本平野だ。
JR西熊本駅。高架下を県道51号が通る。
国道3号と国道57号が出合う「近見」交差点の西約600メートルの所に、JR西熊本駅がある。この駅から南北に延びる線路の西側には、有明海に向かって平地が広がっている。駅の周辺は海抜6メートルほどで、海に近づくほどわずかながら高度を下げていく。しかしその勾配は体感できるものではなく、クルマで走っていると、ほとんど平らな道が続くだけだ。
県道51号でJR西熊本駅の横を過ぎて、600メートルほど進んだ薄場歩道橋がある交差点を右折する。道が上りになるとすぐに白川に架かる薄場橋。有明海の河口から8キロメートルほどの所にある橋で、上流側には新幹線と在来線の鉄道橋が見える。
白川は薄場橋の辺りから川幅が広めになってくる。
橋を渡った所を左折すると、しばらくは白川右岸の土手の上の道。右手には町並みの先に、金峰山地の山々が壁のように東西に延びる。山麓近くを流れる坪井川と並ぶように、600メートルから1.8キロメートルの間隔を空けて、白川が有明海まで続く。
河口から約6キロメートルさかのぼった白川。
熊本平野の成り立ち
熊本市域で有明海に注ぎ込む主な河川は、金峰山地南側の坪井川と白川、緑川の3つ。これらの川はそれぞれ北の植木、東の阿蘇、南西の山都方面から、大小の支流の流れを取り込み、河口まで土砂を運ぶ。中でも阿蘇のカルデラ内に源流がある白川が熊本平野の大部分をつくり上げ、熊本平野は白川沿いを中心に発達した。
白川は周囲約100キロメートルの阿蘇カルデラ内の南側を流れ、西の立野地区で北側を流れてきた黒川と合流し、大津町と菊陽町を経て、熊本市中心部へ向かう。大雨が続けば、水は大地に染み込まなくなり、蒸発もせず、緩んだ土砂と共に川に流れ込む。流れは水かさを増した泥流となる。
白川の土手から見る金峰山地。中央が金峰山。
白川の氾濫に関する記録は古代から残り、昭和28年の大水害では、火山灰を含む大量の泥土が町中にあふれ出た。白川が熊本市の中心部に最も接近する、子飼橋や大甲橋、長六橋の付近では、泥土が75センチメートル以上堆積している。
それは、白川沿岸部に多くの人びとが住むようになってからは、まれな大水害だった。しかし、はるか昔から営々と続く白川の自然現象のひとつに過ぎない。白川が約74キロメートルの流路を経て、阿蘇などから下流部に土砂を運び続けていることが、熊本平野が形成された最大の要因である。
白川左岸の土手の上から見る有明海の河口。
薄場橋から約2キロメートルの所で八城橋の袂を過ぎると、しばらくの間、土手を左手に見上げるようにして走る。道が直角に近いカーブになったら、すぐに国道501号に出る。Uターンするように左折すると、白川に架かる小島橋。ここから下流側に橋は架かっておらず、水の流れは有明海の河口へと向かっていく。
橋を渡ったすぐを右折すると、今度は白川左岸の土手の上の県道233号。左手に水田風景が広がり、土手から下るとやがて道は左へ大きくカーブする。県道51号の「沖新町」交差点で右折して、陸上と人工島を結ぶ、海上に架かる約800メートルの熊本港大橋に向かう。
有明海に架かる熊本港大橋。直線状に道が延びる。
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