しいば
椎葉
〜深山に語り継がれる伝説〜
しいば
椎葉
〜深山に語り継がれる伝説〜
「鶴富屋敷」こと那須家住宅と椎葉の山。
九州山地の奥深く、標高1000メートルを超す山々と耳川や十根川などの水の流れが深い谷間をつくる椎葉村。村の最高地点と最低地点の高低差は約1500メートルに及ぶ。熊本県との境に分水界が延び、都市部とは隔絶した山あいの空間が広がる。
昭和初期に耳川水系の電源開発に関連して現在の国道327号が通され近代化が進み、平成8年の国見トンネル開通により観光客が増加した。
椎葉の平家伝説は、江戸時代に記された『椎葉山由来記』などによるもの。壇ノ浦から落ち延びた平家の残党追討のため、那須大八郎宗久が椎葉を訪れる。しかし、山奥のへき地でつつましく暮らす平家の人びとの姿を見て哀れに思った宗久は、鎌倉幕府には討ち取ったとうその報告をした。そしてこの地に住み、平清盛の子孫の鶴富姫と結ばれた。後に、帰還命令を受け椎葉を去った宗久の子を出産した鶴富姫は、その娘の婿に那須姓を名乗らせたという。
椎葉の中心部にある那須家住宅は、方形の4つの部屋などが真横に並ぶ並列型民家。傾斜地に対応した独自の造りで、椎葉の多くの民家はこれと同様のもの。
十根川地区の豊かな山林が広がる斜面に軒を連ねる民家群も、那須家住宅と同じ造りの建物。十根川は宗久が椎葉で最初に陣屋を置いたという所で、その屋根を椎の葉で葺いたことが地名の由来。十根川神社の社殿横にそびえる樹齢約800年というスギの大樹は、宗久の手植えと伝わる。
参考資料:『椎葉村史』、他
十根川集落。以前椎葉の人は「奈須の者」と呼ばれた。
元久元年(1204年)創建という十根川神社と八村杉。
アクセス:鶴富屋敷(椎葉村下福良)
紹介スポット:鶴富屋敷・十根川集落・十根川神社
移動手段:クルマ