いんない
院内
~石橋が架かる景観~
いんない
院内
~石橋が架かる景観~
5連アーチの鳥居橋。スリムだが洪水にも耐えてきた。
宇佐市院内町には、江戸時代から昭和初期までに架けられた、80基近い石橋が残る。この地は石橋の材料に適した阿蘇溶結凝灰岩が豊富で、恵良川本流とその支流の院内川や高並川などに、さまざまな石橋が築かれている。
松田新之助は関西で橋造りについて学び、院内町内外に大小18の石橋を架けた。そのひとつの恵良川の富士見橋は、長さ48メートルの3連の石橋。大正13年の工事中に崩落するものの、私財を売り払い翌年に完成させたという逸話を残す。橋の下の岩肌に見えるくぼみは、川の流れが激しいことの表れ。谷間に集落をつくる院内では、雨量が多いと川は激流と化すため、木造橋よりも丈夫な石橋を架ける必要があった。
新之助は、富士見橋の他にも水雲(すのり)橋・鳥居橋・御沓橋、院内川の景平橋などを架橋した。
特に大きな石橋を造るには、多額の資金のみならず相応の人力が必要になる。眼鏡橋の半円状になった縁に置く石は、拱環石(こうかんせき)という。日出生川に架かる土岩屋橋の拱環石の重さは、推定でひとつ約600キログラム。このような石を数多く運び、崩れないよう重ねるという石橋造りの作業は、動力がない時代では相当大掛かりな工事だった。
院内には新之助を始めとする石工に加え、石垣や水路を造る石を扱う職人が多くいた。彼らが建設に携わったことも、院内に数々の石橋が築かれた要因である。
参考資料:「いんない石橋マップ」宇佐市、他
富士見橋下の、小石が水流で転がりつくられた甌穴群。
国道387号沿いの展望公園から望む分寺橋。
アクセス:鳥居橋
紹介スポット:鳥居橋・富士見橋・分寺橋
移動手段:クルマ