はがくれはっしょうち
葉隠発祥地
~鍋島家々臣の思い~
はがくれはっしょうち
葉隠発祥地
~鍋島家々臣の思い~
常朝が隠せいした黒土原の葉隠発祥の地。
「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」の言葉で知られる『葉隠』は、江戸時代に著された全11巻からなる書物の名称。『葉隠聞書』ともいう。3代綱茂と4代吉茂の祐筆役を務めた田代陣基が記した。内容は、佐賀鍋島藩2代藩主光茂に仕えた山本常朝の口述や著書などが基になっている。
この書は、佐賀藩士のための修養書。朝鮮出兵や関ケ原の戦いなどに従軍し戦国の世を生きた藩祖直茂や、島原の乱にも出陣した初代勝茂、また平和な時代に育った光茂や綱茂の言葉などが述べられている。光茂や綱茂の藩運営を批判し、直茂や勝茂に倣うようにとの常朝の「思い」がこの書になったという。
強調されているのは「武勇」「忠義」「孝行」「慈悲」で、特に主君への忠義が重視されている。常朝が陣基にいずれ焼き捨てるようにと命じていた秘本だったが、藩士らによりひそかに受け継がれた。
元禄13年(1700年)に光茂が亡くなり、常朝が出家して隠せいした所が佐賀城の北約8キロメートルの金立山山麓。その10年後、陣基は役職を退いた翌年から常朝の住居近くに転居し、通い続けた。
常朝の住居は黒土原と大小隈の2カ所にあった。黒土原は長崎自動車道金立サービスエリアの西約800メートルの辺りで、「常朝先生垂訓碑」が立つ。大小隈の住居はその西1キロメートルほどの所、陣基はさらにその南約1キロメートルの権現原の地に住んでいたという。
参考資料:『佐賀県史』、葉隠研究会『葉隠』、他
陣基は黒土原に4年間、大小隈に3年間通った。
背振山地の金立山麓で『葉隠』は生まれた。
アクセス:葉隠発祥の地(佐賀市金立町)
紹介スポット:葉隠発祥の地