たかしま
鷹島
~元軍船の神風遭遇地~
たかしま
鷹島
~元軍船の神風遭遇地~
埋蔵文化財センターの展望所から望む伊万里湾開口部。
最初の蒙古襲来(文永の役)から7年を経た弘安4年(1281年)、元軍は二手に分かれて日本に向かった。弘安の役である。東路軍4万人・軍船900隻は、朝鮮半島の合浦を出ると対馬・壱岐・志賀島などを攻めた後、一旦壱岐へ退き平戸へ移動した。江南軍10万人・軍船3500隻は中国の慶元(寧波)から平戸へ向かった。合流した兵14万人・軍船4400隻が鷹島で「神風」に遭遇したのは7月30日、現在の8月下旬。
その夜、吹き始めた風は暴風雨となり、大潮の海は荒れ波は大きくうねり、翻弄された元軍船は互いに衝突し砕けた。水深20メートルほどの海底に食い込み、南北に並んだ状態で発見された4つの碇は、強い南風に耐えようと連続投錨されたものと見られる。推測によると、暴風は最大瞬間風速54メートル、平均38メートルだった。
「大風にあい、蛮軍みな溺死す。屍は潮汐にしたがいて浦に入り、浦はこれがために塞がりて、踏みて行くべし」と高麗の記録にある。元軍は合浦へ撤退したが、11万人近い兵が帰還できなかったという。
沈没船や「管軍総把印」と刻まれた印章、「てつはう」と呼ばれる炸裂弾などの遺物が、鷹島南岸部で集中的に出土した。
「松浦市立埋蔵文化財センター」の展望所からは、「1号沈没船」が発見された地点を含む神崎港周辺の海域が一望。島北部、高台の宮地嶽史跡公園に元寇記念之碑が立ち、北端のモンゴル村からは元軍が襲撃した壱岐や対馬などの島々を遠望する。
参考資料: 新井孝重『蒙古襲来』吉川弘文館、他
神崎港から見る、元軍船が埋め尽くしたという海域。
モンゴル村に展示されている遊牧民の住居の「ゲル」。
アクセス:松浦市立埋蔵文化財センター(松浦市鷹島町)
紹介スポット:松浦市立埋蔵文化財センター・神崎港・宮地嶽史跡公園・モンゴル村
移動手段:クルマ