おおいたえきかいわい
大分駅界隈
~大友氏ゆかりの地巡り~
おおいたえきかいわい
大分駅界隈
~大友氏ゆかりの地巡り~
JR大分駅北口に立つ大友宗麟像と「南蛮世界地図」。
一説に大友氏は、現在の神奈川県秦野市を本拠とした波多野氏の一族で、4代遠義の子・経家が大友郷(同県小田原市東大友・西大友)を領してその名を称した。経家の娘と古庄能成の間に生まれたのが能直。能直は叔母を妻とする中原親能の養子となり、母方の祖父の名字を名乗った。
親能は源頼朝の側近だった人。平家追討で源範頼の参謀として各地を転戦し、鎌倉幕府樹立後は政権中枢で重用された。西日本を中心に多くの所領が与えられ、そのうちの豊後国を能直が譲り受けたと考えられている。大友氏2代親秀まで京都を本拠とし、3代頼泰の時に幕府の命により、蒙古軍の襲来に備え豊後に移住した。
最盛期は21代義鎮(宗麟)の時。父・義鑑から豊後・筑後・肥後を受け継ぎ、さらに豊前・筑前・肥前を加え6カ国の守護職となり、九州探題職にも任命された。またキリスト教布教を許可し、海外貿易を行っている。当時の豊後は礼拝堂やコレジオ、西洋式病院などが立つ先進地域だった。
九州が豊臣秀吉の支配となり22代義統は所領を安堵されるものの、朝鮮出兵の際、小西行長の援軍要請に応じなかったとして領地を没収された。大友氏による豊後支配の終焉である。
天正14年(1586年)の島津氏の侵攻により大友氏の関連施設は、ほぼ焼かれてしまっている。JR大分駅前の大友宗麟像や大友氏館跡庭園、上原館跡などが大分市中心部の主な見どころ。
参考資料:『大分市史』、『小田原市史』、他
宗麟・義統のころのものを復元した大友氏館跡庭園。
大友氏の居館だった上原館跡。土塁や堀跡が残る。
アクセス:大友宗麟像
紹介スポット:大友宗麟像・大友氏館跡庭園・上野原館跡
移動手段:徒歩