つしま
対馬
~日本海海戦の情景~
つしま
対馬
~日本海海戦の情景~
都々智神社のそばで見る浅茅湾口近辺の様子。
明治38年の日露戦争で日本の勝利を決定づけたとされるのが、日本海海戦である。
ユーラシア大陸西端のリバウ港を出港したロシアのバルチック艦隊は、日本海沿岸にあるウラジオストクの軍港を目指した。日本の連合艦隊は対馬沖での海戦に備え、第1・2艦隊は朝鮮半島南端にあり、鎮海湾の旗艦・三笠以外は加徳水道に、第3艦隊は対馬の尾崎湾(浅茅湾)に待機した。
5月27日早朝、信濃丸がバルチック艦隊を発見。報告を受けた第3艦隊は、三笠乗艦の東郷平八郎連合艦隊司令長官への報告と同時に尾崎湾を発し、対馬西岸を南下して神埼南方へ向かった。午前10時ごろに敵影を発見すると誘導しながら北上し午後1時30分、日本の主力艦隊を確認した。
東郷は7時10分、対馬沖へ向けて出撃すると午後1時39分、沖ノ島(福岡県)の北でロシア艦隊を発見。戦闘態勢を整えた連合艦隊は、敵艦隊の旗艦・スワロフなどの主力艦に集中砲火を浴びせかけた。翌28日は掃討戦となり、バルチック艦隊司令長官のロジェストウエンスキーを捕虜とするなどして、日本海海戦は終結。日本側の圧倒的な勝利だったという。
美津島町尾崎の都々智神社は、第3艦隊が出撃した浅茅湾の湾口近くにある。外海の間際のため、波も立ちやすい。厳原港から1.5キロメートルほどの漁火公園の展望所は、北寄りの東を向く。この沖合約70キロメートルの辺りに、日本海海戦の戦場となった海域が広がる。
参考資料:海軍軍令部『明治三十七八年海戦史』、他
対馬東岸への海路確保のため開削された万関瀬戸。
漁火公園の展望所。正面の方向に沖ノ島がある。
アクセス:万関橋(対馬市美津島町)
モデルコース:万関橋 〜 都々智神社 〜 漁火公園展望所
移動手段:クルマ