おおむら
大村
~改宗を強いられた人びと~
おおむら
大村
~改宗を強いられた人びと~
三方を海が取り囲む地に玖島城が築かれた。
ドン・バルトロメウ。永禄6年(1563年)に、日本初のキリシタン大名となった大村純忠の洗礼名である。純忠は島原半島南部に拠点を置く有馬家の次男として生まれ、大村家に養子として入った。領主の純前には男子があったが他家の養子となり純忠が跡を継いだ。
そのことからも大村家には内紛が繰り返され、純忠はキリスト教の教義により人心をまとめようと考えた。天正2年(1574年)には神父のコエリョの勧めもあり、家臣や領民にキリスト教への改宗を求めた。従わない者を追放あるいは処刑すると、寺社を破壊して教会や十字架を設置。このことにより、大村のほぼ全ての領民約6万人がキリスト教に改宗したという。
純忠の子・喜前が大村領主を継ぐと、豊臣秀吉の伴天連追放令、さらに徳川幕府による禁教政策が強化されるに伴い、キリシタンへの対応が変わっていった。
キリスト教を棄教し日蓮宗に改宗した喜前はイエズス会士を追放。領民たちにも棄教を求め、従わない者を処刑すると、教会を破壊して社寺を設置した。これで領内のキリシタンは、「表面的」に一掃された。
JR大村駅の南約1キロメートルの所では、喜前の家臣が住んだ武家屋敷街の跡が往時の面影を残し、その西側の国道34号を挟んだ大村湾沿いには玖島城址がある。本経寺の巨大墓石群は、長崎街道を往来する幕府関係者らに対する、仏教に帰依したことのアピールだったともいう。
参考資料:『新編大村市史』、松田毅一『大村純忠伝』教文館、他
教会の跡地に建てられた本経寺の特徴的な墓石群。
旧長崎街道沿いのカトリック水主町教会。
アクセス:JR大村駅(大村市東本町)
モデルコース:武家屋敷街跡 → 玖島城址 → 本経寺 → カトリック水主町教会
移動手段:徒歩