みすみにしこう
三角西港
~明治の近代港湾施設~
みすみにしこう
三角西港
~明治の近代港湾施設~
野蒜港、三国港と共に明治三大築港の三角西港の跡。
宇土半島の西端、対岸に大矢野島を望む、かつて熊本を代表する港として繁栄した三角西港。建設のきっかけは明治13年、産業振興のため熊本県に提出された百貫港(熊本市)の「港湾修築建言書」だった。
翌年に、内務省からオランダ人水理技師のムルドルが派遣され、現地を視察した。しかし彼は、1000トン程度の船舶が出入りできず、港内には年々土砂が堆積するなどと百貫港を評価。その代わりに選ばれたのが三角の地である。計画から施工までムルドルの指導の下、明治17年に着工され、開港は同20年8月。
港は徐々に発展し、倉庫や商店、宿、回漕店などが立ち並びにぎわいを見せた。明治32年には開港場に指定され、同39年の取扱額が輸移出入ともに県全体の60パーセント前後を占める。
一方で同32年12月、港の南東約3キロメートルの海沿いの地に三角駅が開業し、駅前に船の発着場(後の際崎港・東港)が設けられ、町のにぎわいは次第に移っていった。昭和41年に天草五橋が開通すると貨物船や客船の航路が廃止され、八代港など県内の他の港湾施設が充実するに従い、その役割も縮小した。後に東港が港の機能を引き継いだ。
本港跡地は公園として整備され、当時の埠頭や水路などが残る。ラフカディオ・ハーンが『夏の日の夢』で描いた浦島屋や、「旧高田回漕店」の建物などが復元・修復され、往時の様子を伝えている。
参考資料:『三角町史』、熊本県土木部港湾課『くまもとの港』、他
復元された「浦島屋」と左側に「龍驤館」。
天草の大矢野島と宇土半島の瀬戸を小型船が行き交う。
アクセス:三角西港(宇城市三角町)
紹介スポット:三角西港