たしぶ
田染
~中世の田園風景~
たしぶ
田染
~中世の田園風景~
夕日岩屋から見る田染の田園風景。
「田染荘」の始まりは、平安時代に宇佐神宮の荘園とされたことによる。その後、さらに多くの水田が開発された、田染の中心地だった小崎地区の水田や集落の地割りなどは、鎌倉時代のころとほぼ変わっていないという。三方を山々に囲まれた緩やかな勾配のある地形に合わせて造られた水田では、田から田へと水を流し、「イゼ」と呼ばれる堰など、伝統的な手法も伝わる。
「田染組小崎村絵図」は、元禄2年(1689年)のころの様子を描いたとされるもの。台薗集落の位置や耕作地の広がり、小崎川の流れや周囲を取り囲む山々も、現在とほぼ同じように見える。
田染は、宇佐神宮の神官を務めた荘官の田染氏の本拠地。延寿寺が立つのは田染氏の尾崎屋敷があった所で、室町期の六地蔵などが彫られた「石殿」の他、石垣や土塁、空堀が残る。集落から西側に続く水田の先に立つ雨引社は、小崎の水田開発の始まりとされる場所。ここで湧き出す水は日照りでも枯れることはなかったという。
険しい岩肌の威容を見せる東側の山並みには、修行場としての岩屋が開かれていた。絶好のビュースポットでもある「夕日岩屋」へは、10分間程度の「登山」が必要なため、しっかりとした靴を用意した方がいい。西側の「田染荘展望台」はクルマでのアクセスも可能。
現地に身を置けば、鎌倉時代にこの地で暮らしていた人びとが見ていた同じ風景と、出合えるかもしれない。
参考資料:「国選定重要文化的景観 田染荘小崎の農村景観」豊後高田市教育委員会、他
鎌倉時代のころの面影を受け継ぐ台薗集落。
田染の山や田や川に昔の日本の風景を思う。
アクセス:田染荘展望台
紹介スポット:田染荘展望台・台薗集落・田染展望台
移動手段:徒歩