ほそかわしゆかりのち
細川氏ゆかりの地
~忠利が残したもの~
ほそかわしゆかりのち
細川氏ゆかりの地
~忠利が残したもの~
武蔵塚公園の宮本武蔵像。正面に旧豊後街道が通る。
JR熊本駅に程近い北岡自然公園内に妙解寺跡がある。ここには、光尚・綱利・宣紀・宗孝・重賢・治年・斉護ら7人の熊本細川藩々主と共に、初代藩主の忠利が眠っている。忠利は藤孝の孫で忠興の子。徳川幕府3代将軍・家光の時代、熊本加藤藩2代忠広の庄内(山形県)転封後、旧加藤領54万石は豊前藩々主の細川氏に与えられた。当時、すでに藤孝は亡くなっており、忠興は家督を譲っていたため、忠利が熊本細川藩の初代藩主となった。
熊本には忠利にゆかりの深いものが残る。水前寺は、羅漢寺(大分県中津市)から来た玄宅和尚のために忠利が建てたもの。その後、移転した跡地に大規模な庭園が造られ水前寺成趣園となった。忠利の健康のため、玄宅和尚がレンコンを勧め生み出されたのが「からし蓮根」だ。
剣豪・宮本武蔵を熊本に招いたのも忠利。武蔵像が立つ武蔵塚公園は、参勤交代で往来する藩主を見守りたいとの遺言により武蔵が葬られた所。
忠利が豊前小倉城を離れ熊本に入国したのは、寛永9年(1632年)。熊本城の大手門で駕籠を降りた忠利は、敷居前で頭を垂れて入城すると、天守閣で清正の墓所がある本妙寺に向かって遥拝した。熊本の基盤を構築した清正に敬意を示すことで、領民感情に配慮したという。
忠利は泰勝院を建て藤孝夫妻と母・ガラシャの廟を築いた。忠利の死後、子の光尚が忠興の廟を加え、翌年泰勝寺と改めた。
参考資料:米原正義『細川幽斎・忠興のすべて』新人物往来社、他
石段の先に忠利夫妻と光尚の霊廟がある妙解寺跡。
阿蘇山の伏流水が湧き出す回遊式庭園の水前寺成趣園。
アクセス:妙解寺跡(熊本市中央区)
モデルコース:妙解寺跡 → 水前寺成趣園 → 武蔵塚公園 → 泰勝寺跡
移動手段:電車・バス