やまが
山鹿
~菊池川流域の装飾古墳~
やまが
山鹿
~菊池川流域の装飾古墳~
人物像が確認できる鍋田横穴群27号横穴の装飾。
全国の古墳20万基以上のうち装飾古墳は約660基で、その半数以上が九州にあるという。熊本県内には200基ほどが点在し、県中央部と北部に多い。菊池川流域では、120基ほどが確認された。装飾古墳は石室の壁面や石棺に彩色や彫刻を施したもの。5世紀以降に九州北部で造られ始め、後に東北地方まで広がった。
古墳時代の九州北部では、筑後川流域の筑紫君と八代周辺の火君がそれぞれ勢力を及ぼしていた。菊池川流域は筑紫君の彩色文化圏だったが、継体天皇22年(528年)の筑紫国造磐井氏の反乱鎮圧後、火君の彫刻文化圏の影響が現れたという。
山鹿市の岩原台地に立つ「熊本県立装飾古墳館」の周辺に古墳が集まる。全長107メートルに及ぶ県内最大級の前方後円墳の岩原双子塚古墳や、大小13の円墳からなる岩原古墳群などが残る。
菊池川を挟んだ北側の鍋田横穴群27号横穴は、装飾を間近に目にできる古墳。岩野川沿いの壁面に両手を横に広げた人物像や、弓矢、馬、盾などが彫られている。入り口に武具が描かれていることから、被葬者を守る魔除けなどの意味が込められたものという。
さらに北側のチブサン古墳は、石棺の壁の文様が乳房の形に見えることから名付けられた、6世紀初期に築かれたとみられる墓。徒歩数分の、「産(うぶ)さん」に由来するとされるオブサン古墳と共に、「お産」の神様として信仰された。
参考資料:『山鹿市史』、他
チブサン古墳の駐車場脇にある石屋形のレプリカ。
装飾古墳館前の岩原双子塚古墳。背後は筑肥山地。
アクセス:熊本県立装飾古墳館(山鹿市鹿央町)
モデルコース:熊本県立装飾古墳館 → 鍋田横穴群 → チブサン古墳
移動手段:クルマ