たくせいびょう
多久聖廟
~領民のための廟所~
たくせいびょう
多久聖廟
~領民のための廟所~
宝永5年(1708年)に創建された多久聖廟。
多久茂文は佐賀藩2代藩主鍋島光茂の3男として生まれ、幼少より儒学を学んだ。
貞享3年(1686年)、多久4代領主となった茂文は、儒学のひとつの学派である朱子学や、武芸などを学ぶ場を置いた。それが後の東原庠舎。「東原」は地名、「庠舎」は学校のこと。領民たちに学ぶことの重要さを伝えるために造られたのが、儒学の祖・孔子を祭る多久聖廟である。
茂文は多久聖廟の必要性について『文廟記』の中で次のように述べている。「昔から人びとは、廟社を見ると尊敬の念を興す。尊敬の念は儒教の基本であり、人が賢者になるか愚者になるかは、その有無による」「人が学問を好まないのは、道を信用することが不十分だからであり、それが不十分なのは聖廟を見ていないから」
茂文の座像の横から延びる参道沿いに、多久市の友好都市でもある中国山東省の曲阜市から贈られた孔子像が立つ。さらに道を進めば、右手に現在の東原庠舎があり、左手の先に聖廟が見える。建物は日本の寺院に見られる禅宗様仏堂形式という様式だが、麒麟や龍など、孔子ゆかりの聖獣の装飾が施され、独特の雰囲気が漂う。
孔子は紀元前479年に74歳で亡くなった。葬られたのは曲阜市の泗水という川のほとりで、その墓に弟子の子貢が楷の木を植えた。聖廟のそばに植樹されている「楷樹」は、大正4年、日本人が現地を訪れ原木の種子を採取して持ち帰り育て、移植されたもの。
参考資料:多久聖廟創建三百年祭実行委員会『多久聖廟と東原庠舎』、他
至る所で目にする孔子にまつわる言葉。
東原庠舎では武士以外の人にも入学が許された。
アクセス:多久聖廟(多久市多久町)
紹介スポット:多久聖廟