ひらど
平戸
~対欧貿易の先駆け~
ひらど
平戸
~対欧貿易の先駆け~
日本における対ヨーロッパ貿易の初期を担った平戸港。
1543年、ポルトガル船が種子島(鹿児島県)に漂着した。スペイン人のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したのはその6年後。1600年には臼杵(大分県)にオランダ船が着岸し、航海士としてイギリス人のウィリアム・アダムスが乗船していた。これらがポルトガル・スペイン・オランダ・イギリス人の来日の最初とされる。
1550年、ポルトガル船が平戸に来航したのは、倭寇の首領・王直の案内によるという。松浦氏によるポルトガル貿易は14年間に及んだが、トラブルが絶えず平戸入港は1564年が最後となった。スペイン船は1584年の平戸入港が最初の日本来航であったが、トルデシリャス条約によりスペインは日本貿易への介入はできなかった。
オランダ商館の開設は1609年からの32年間。日本への輸入は中国産の生糸や絹織物、反物が8割以上、日本からの輸出は銀が大半を占めた。1613年にイギリス商館が開かれるが、ビジネスとして成功できず10年後に閉鎖。島原の乱後、オランダ商館は幕府より取り壊しと出島への移転を命じられ、平戸における対欧貿易は終わった。
平戸港から約300メートルの所に、復元されたオランダ商館の倉庫が立つ。周辺には当時の岸壁や井戸が残されており、商館は背後の高台にあったという。
按針坂の途中では眼下に瓦屋根の景観が広がる町並みの先に平戸港や平戸城、カトリック平戸教会などが一望。町中にイギリス商館跡や三浦按針の住居跡などがある。
参考資料:外山幹夫『松浦氏と平戸貿易』国書刊行会、他
帆船の荷の積み下ろしが行われたオランダ埠頭。
按針坂からの風景。右手の奥がカトリック平戸教会。
アクセス:平戸港(平戸市崎方町)
モデルコース:平戸港 ~ 平戸オランダ商館 ~ 崎方公園 ~ イギリス商館跡 ~ 平戸港
移動手段:徒歩