やながわ
柳川
~どんこ舟が浮かぶ水郷~
やながわ
柳川
~どんこ舟が浮かぶ水郷~
柳川城跡周辺の掘割を「どんこ舟」が縦横に行き交う。
有明海に臨む、干拓で土地が形成された海抜0メートルから3.5メートルの柳川の町では、「掘割」と呼ばれる水路をよく見掛ける。その歴史は古くこの地に人が住むようになった弥生時代、田畑を造る際にできた溝が始まりという。16世紀に柳川城が築かれた時には城の防備のため、近代には用水路としての掘割が造られた。
水が町に取り込まれるのは、市東部を流れる矢部川から。その後、花宗川・沖端川・塩塚川などにより町中の掘割を縦横に流れ利用されて、有明海に注ぎ込む。
掘割は農業用水の他にも地盤沈下や水害の防止、水質保全、地下水のかん養などの役割を果たしてきた。江戸時代には舟で通行されることもあり、明治時代になると漁や川遊びをする人の姿も見掛けられた。
観光客が水郷の景観を楽しむ「川下り」が始まったのは、昭和30年代になってからのこと。コースは主に西鉄柳川駅から徒歩10分圏内にある複数の乗船場から、柳川城跡の掘割を巡り、沖端町の辺りで下船する。「どんこ舟」が市街地に通る掘割を行き交い、時には低い橋の下を器用にくぐり抜ける。舟から聞こえてくる船頭さんの案内や歌声、乗客の笑い声や拍手は柳川の風景に色を添える。
沖端町は、明治時代の詩人で歌人の北原白秋が生まれた所。学生の白秋が、通学で使っていたという「白秋道路」は、のんびりと歩きながら掘割の景観が楽しめる、水辺の散歩道。
参考資料:『新柳川明証図会』柳川市史編纂委員会・別編部会、『環境教育副読本やながわ』柳川市教育委員会、他
市内の掘割は総延長930キロメートルに及ぶという。
白秋は沖端町から掘割沿いの道で伝習館中学に通った。
アクセス:西鉄柳川駅(柳川市三橋町)
紹介スポット:川下り乗船場エリア・沖端町・白秋道路
移動手段:徒歩