おんた
小鹿田
~唐臼の音が響く皿山~
おんた
小鹿田
~唐臼の音が響く皿山~
成形後の器に日が当たりやすいよう庭に塀はない。
小鹿田(おんた)焼は、文禄・慶長の役の際に渡来した朝鮮人陶工にルーツがあるという。窯が開かれたのは一説に宝永2年(1705年)。昭和2年に久留米(福岡県)で「日田もの」と呼ばれる小鹿田焼の作品を見た民芸家の柳宗悦が、現地を訪れ、著書で「兎も角美しい」とたたえた。「慶長頃から元禄にかけて旺盛を極めた朝鮮系の焼物」と柳が言うその存在は、長く世に知られないまま。昭和29年にイギリス人陶芸家のバーナード・リーチらが現地に滞在したころから、広く知られるようになった。
日田の中心部から山中に通る県道107号を川沿いに進んで行くと、やがて十数戸の家からなる山あいの小さな集落、「小鹿田焼の里」に入る。辺りには水や木の当たる音が響き、時に薪が焼ける匂いが漂う。
小鹿田焼は日田の代官・室七郎左衛門により、筑前国小石原村(福岡県東峰村)の陶工・柳瀬三右衛門を招き始まった。その手法は「一子相伝」とされ、当初からこの集落だけで家業として受け継がれている。
地元で採取した土を乾燥させ、川の流れを利用した「唐臼」で3、4週間ほどかけて粒状に砕く。そこに水を入れて何度も漉した後に水抜きをし、乾燥させて陶土が出来上がる。ここまでは女性の仕事。その後は男性の仕事で、陶土を蹴ろくろで成形して天日にさらし乾燥させ、装飾・施釉を行い、登り窯で3昼夜ほどかけて焼く。
開窯以来、機械を使わず手作業で、弟子を取らず人を雇わず、今に続く。
参考資料:柳宗悦『日田の皿山』(柳宗悦全集著作篇第12巻)筑摩書房、他
唐臼の寿命は短くて4年、長くて10年ほど。
窯の煙や水と唐臼の音に集落の息使いを感じる。
アクセス:小鹿田焼陶芸館(日田市源栄町)
紹介スポット:小鹿田焼の里
移動手段:徒歩