しょうわのまち
昭和の町
~高度経済成長期の商店街~
しょうわのまち
昭和の町
~高度経済成長期の商店街~
昭和30年代は日本が高度経済成長を果たした時代。
かつて豊後高田の商店街は、県北部の商業の中心地として繁栄するが、平成のころにはすっかり衰退してしまっていた。有志により行われた調査で、建物の多くが昭和中期までの建築であることが分かり、最も活気があった「昭和30年代」の商店街を再生するための町づくりが始められる。
東京タワーが建ち、池田首相が所得倍増政策を打ち出し、東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された。洗濯機、白黒テレビ、掃除機なども現れた。頑張れば豊かになれる、と希望が持てた時代だ。
町づくりは当時を懐かしく思う人びとのニーズに合う本物にこだわった。外部の専門家にアドバイスを求め、全国の先例を求めて視察を重ねた。資金は市・県・国の補助金を活用、利益は町づくりへ還元し質を維持できる仕組みを構築。その結果、観光客が増加し、町に活気がよみがえった。
昭和12年築の米蔵を改修した「昭和ロマン蔵」が町巡りの拠点。その向かいにある、宇佐参宮鉄道豊後高田駅跡のバスターミナルから続く、総延長約550メートルの通りに、昔ながらの店舗が立ち並ぶ。
通りでは魚屋、餅屋、漬物屋、履物屋、映画館などの、今ではあまり見掛けないような、以前は通りから隠れていた、懐かしい雰囲気を醸し出す看板を目にする。加えて店内に並ぶ品々やレンガ造りの建物、ボンネットバスなどが昭和の光景を濃く描く。お店の人と言葉を交わせば、輝いていた当時の気分を味わえるかもしれない。
参考資料:「豊後高田市内8商店街」中小企業庁HP、塩田潮『昭和30年代』平凡社新書
古い看板を再び通りに掲げて昭和の町並みを再現。
ボンネットバスは手作りの部品により再生された。
アクセス:昭和の町(豊後高田市新町)
モデルコース:昭和ロマン蔵 → バスターミナル → 駅通り → 新町通り → 中央通り
移動手段:徒歩