やつしろじんじゃ
八代神社
~亀蛇で渡来した妙見神~
やつしろじんじゃ
八代神社
~亀蛇で渡来した妙見神~
元和8年(1622年)に加藤忠広が再建した八代神社。
明治以降、「八代神社」と呼ばれるようになった妙見宮。その始まりは、天武天皇の時代に妙見神が渡来して、八代市竹原の地に上陸したことによるという。一説に妙見神は、中国の明州(寧波)から日本まで亀蛇に乗って来たと伝えられる。
延暦14年(795年)、横嶽山上に上宮、永暦元年(1160年)にその山麓に中宮が置かれた。そして文治2年(1186年)、現在の八代神社の地に、勅願により下宮が建てられ、本宮とされている。門前町が形成されるほど繁栄し、江戸時代には「国常立尊」や「妙見菩薩」などと称され、一般に「妙見さん」で通っていた。
JR八代駅から東へ向かい、国道3号を経て県道155号に入り、600メートルほど進んだ所に八代神社(下宮)が立つ。大祭「八代妙見祭」は、毎年11月に開催される九州三大祭りのひとつ。神幸行列では、獅子舞や飾り馬、「ガメ」の愛称を持つ亀蛇などが町を練り歩く。
下宮から中宮への神幸などは16世紀には行われており、豊臣秀吉支配のころに一旦途絶えている。寛永9年(1632年)の加藤氏改易後、八代城に入った細川忠興が御輿を寄進するなどして再興され、名代の松井氏に引き継がれた。
八代神社から妙見中宮跡へは、鳥居の前に延びる道を南へ向かう。300メートルほど歩くと水無川沿いの道。懐良(かねなが・かねよし)親王の陵墓を横に過ぎた先の木立の中に社がある。
参考資料:『八代市史』、他
「亀蛇」とはカメとヘビが合体した想像上の生き物。
懐良親王御陵の水無川上流側にある妙見中宮跡。
アクセス:八代神社(八代市妙見町)
モデルコース:八代神社 → 妙見中宮跡
移動手段:徒歩