させぼ
佐世保
~基地がある港町~
させぼ
佐世保
~基地がある港町~
千尽地区から見る佐世保港。
佐世保市の発展は明治22年に日本海軍の拠点である鎮守府が置かれたことに始まる。それまで寒村に過ぎなかったが、急速に都市化が進み、人口は明治19年の約4000人から明治35年には約6万人に増加した。山々が取り囲み、水深が深く大きく入り込んだ地形は港に適し、仮想敵国の中国との開戦後の拠点にふさわしいとされた。
日清戦争では明治27年7月23日に、日露戦争では明治37年2月6日に、それぞれ連合艦隊が佐世保港から出撃している。昭和25年に港湾施設は米海軍に接収され、昭和28年に海上自衛隊佐世保地方隊の佐世保地方総監部が置かれた。
JR佐世保駅の西口を出た所が佐世保港。新港エリアには五島列島などへのフェリーターミナルや商業施設が並ぶ。佐世保川を挟んだ対岸のふ頭に米海軍佐世保基地、その先に佐世保造修補給所、旧佐世保海軍工廠の佐世保重工業などがある。
旧日本海軍の9つの倉庫が残る千尽地区の「旧軍需部第五水雷庫」は、大正11年築の長さ約100メートルに及ぶ巨大倉庫。他にも「旧軍需部兵器倉庫」や「旧軍需部弾丸庫」などが立つ。
佐世保川に架かる県道26号の佐世保橋脇の浜田公園に、旧佐世保橋、通称「海軍橋」のモニュメントが置かれている。鎮守府時代、海軍の構内と市街地との境だった橋で、一般市民の立ち入りは制限されていた。平瀬交差点近くには、道路を挟んで向かい合うように総督部と米軍基地がある。
参考資料:海軍歴史保存会『日本海軍史』第一法規出版、他
米軍基地は外国であり一般人の入場は制限される。
旧軍需部第五水雷庫。現在は民間企業が使用している。
アクセス:佐世保港(佐世保市新港町)
紹介スポット:佐世保港・浜田公園・千尽地区
移動手段:クルマ