きつき
杵築
~台地と坂道がつくる城下町~
きつき
杵築
~台地と坂道がつくる城下町~
志保屋の坂から町屋通り越しに見る酢屋の坂。
八坂川と高山川に挟まれた高台の「台山」に、木付氏4代頼直により応永元年(1394年)、木付城は築かれた。
城主は木付氏の後、前田氏・杉原氏・細川氏城代の松井氏と有吉氏・小笠原氏、正保2年(1645年)から廃藩置県まで能見松平氏が受け継いだ。「能見」は出身地である現在の愛知県岡崎市にある地名。なお「木付」の表記は、正徳2年(1712年)の将軍・徳川家宣からの朱印状に記されていた、「杵築」に改めることを幕府に願い出て変更されている。
松井氏により城下町の縄張りが行われ、能見松平氏初代英親のころに地割りがほぼ完成された。城下町の建設で最も重要視されるのは、家臣団の居住地、つまり武家町の形成である。台山の西側、平行に延びるふたつの細長い台地上に武家、その谷間の低地部に町人が暮らした。このことにより身分の違いを表したという。
杵築城の最上階からは、八坂川河口や守江湾の風景が広がり、西側には南台の先端部が見え台地であることがよく分かる。
台山の西側、勘定場の坂は北台武家屋敷へと続く。歴史を物語るような古びた石段を上り詰めると、通り沿いに「磯矢邸」や「能見邸」などの土塀が続き、「大原邸」の角を左に曲がると「酢屋の坂」。この坂と向かいの「志保屋(塩屋)の坂」は、杵築を代表する風景である。町屋の通りを挟んだふたつの坂では、石垣や石畳の道などが、城下町の風情を醸し出す。
参考資料:「国指定史跡 杵築城跡」杵築市教育委員会、他
北台武家屋敷の通り。奥が勘定場の坂。
杵築城の展望所からの眺望。写真左側が南台の先端部。
アクセス:杵築城
モデルコース:杵築城 → 北台武家屋敷通り → 酢屋の坂
移動手段:徒歩