ありた
有田
~日本の磁器作り発祥地~
ありた
有田
~日本の磁器作り発祥地~
泉山磁石場。陶石は皿山代官所により管理されていた。
文禄・慶長の役で、九州などの武将は日本へ引き揚げる際に、陶工を含む朝鮮人たちを連れ帰った。その後、九州各地で陶磁器の生産が始められる一方で、朝鮮での焼き物作りには悪影響が及んだ。文禄・慶長の役が、「焼き物戦争」とも呼ばれるゆえんである。
鍋島氏家臣の多久安順は、陶工の李参平という人を佐賀に連れて来た。一説に、日本における磁器作りは、李参平が有田の泉山で原料となる石を見つけ、天狗谷に窯を開いたことに始まるとされる。
JR上有田駅から約1キロメートルの泉山磁石場では、採石場をじかに見ることができる。現在、採石はほとんど行われていないが、「四百年かけてひとつの山を焼き物に変えた」と言われるほど、日本の磁器作りで大きな役割を果たした。
天狗谷の窯跡が残るのは、磁石場から2キロメートルほどの所。実物の窯は保存のため地中に埋め戻されているが、失敗作などが廃棄された「物原」の、磁器のかけらが混入する土層を展示。昭和40年代の発掘調査によると、天狗谷窯は1630年代に開かれた。ただし有田での磁器作りは1610年代には行われており、当初は泉山以外で採れた原料が使われたとみられる。天狗谷の窯場は、有田で磁器の生産が本格化する初期に稼働していたものという。
李参平を祭る陶山神社は、焼き物の鳥居や灯籠が特徴的。社殿背後の山頂には、「陶祖李参平碑」が立つ。
参考資料:国史大辞典「李参平」、他
失敗作や不要物が廃棄された「物原」。
焼き物の鳥居越しに見る有田の町並み。
アクセス:JR上有田駅(有田町中樽)
モデルコース:泉山磁石場 → 天狗谷窯跡 → 陶山神社
移動手段:徒歩