うどのせきぶつぐん
鵜殿石仏群
~岩肌に残る仏像~
うどのせきぶつぐん
鵜殿石仏群
~岩肌に残る仏像~
宝塔と宝棒を持つ二天窟の多聞天像。左は不動明王像。
丘陵地の森の中に、南北朝時代から江戸時代に彫られたと思われる石仏が確認された鵜殿石仏群。この地は中世に山岳仏教の修行場として開かれた所。一説に、大同元年(806年)に空海が唐からの帰りに立ち寄り、釈迦三尊を岩に彫り込んだというが、その時代の石仏は見つかっていない。空海没後500年ほど経た、南北朝時代以降のものと思われる60数体が現存するという。数の多さと規模の大きさから臼杵石仏群(大分県)に次ぐとされ、江戸時代には多くの見物者でにぎわった。
木々の中に延びる歩道の右側に巨岩が見えてくると、やがて正面に岩の壁が現れる。左手の洞窟はかつて平等寺が置かれていた主窟で、その右手に続く壁面に数々の石仏が彫られている。南面壁には、3段重ねのように見える大きな岩の一番下に、薬師如来や不動明王などの像を刻む。
右側の二天窟は、寄りかかるように斜めになった板状の岩の内側に見える。鵜殿石仏群で最古とされる本尊の十一面観音坐像とその両脇に多聞天と持国天の立像。ふたつの立像はそれぞれ182センチメートルと168センチメートルの全身像が描かれた、見応えのある石仏だ。
「胎内くぐり」と呼ばれる岩の穴を抜けた東面壁には、石の枠に納められた「千体仏」が並ぶ。
見過ごしてしまうような足元の石など、壁面以外にも線刻がくっきりと残された石仏を目にすることもある。
参考資料:「鵜殿石仏群保存対策調査報告書」唐津市教育委員会、「鵜殿石仏群」唐津市、他
屋根の下に二天窟、左右に南面壁と東面壁がある。
いろいろな所で石に刻まれた仏像を目にする。
アクセス:鵜殿石仏群(唐津市相知町)
紹介スポット:鵜殿石仏群