よしのがりいせき
吉野ヶ里遺跡
~弥生期の大規模環壕集落~
よしのがりいせき
吉野ヶ里遺跡
~弥生期の大規模環壕集落~
集落への出入りは兵士により監視されていた。
吉野ヶ里遺跡は、北側に脊振山地を望む、吉野ヶ里町と神埼市にまたがる丘陵地で発掘された遺跡。現在は「吉野ヶ里歴史公園」として、遺跡の保存や公開などをしている。この地からは、弥生時代に繁栄した大規模な環壕集落などが出土した。
一般に「環濠集落」とは、周囲を水堀や空堀で囲んだ集落のこと。ここでは弥生時代前期に生じた小規模な集落が、後期になり40ヘクタールを超える国内最大規模の環壕集落に発展したという。
「南内郭」では、竪穴住居や物見櫓など20の建物が復元され、周囲を壕が取り囲む。住居の中では調度などが備えられ、当時の暮らしぶりを再現。南内郭そばの「展示室」では、染色された衣服や、剣や宝飾品などを紹介する。継ぎはぎだらけの大きな甕は、発掘された実物の埋葬用の棺。
「北墳丘墓」は南北約40メートル、東西約27メートルの規模で、首長など身分の高い人たちの墓と考えられているもの。ここでは掘り起こした土の断面に14基の実物の甕棺を置き、発掘時の様子を分かりやすく展示。その北側の「甕棺墓列」では、全長約300メートルもの広々としたエリアに、500基ほどの甕棺からなる墓の列が再現されている。
吉野ヶ里遺跡では3000基以上の甕棺墓、370基以上の土壙墓や木棺墓と共に350体以上の人骨も見つかった。その中には頭部のないものや、10本の矢が射込まれたものもあった。
参考資料:吉野ヶ里歴史公園HP、他
吉野ヶ里では水の跡が認められないため「壕」を使う。
かけらを組み合わせて再現された甕棺。
アクセス:吉野ヶ里歴史公園(吉野ヶ里町田手)
紹介スポット:吉野ヶ里歴史公園