たけお
武雄
~長崎街道の宿場町~
たけお
武雄
~長崎街道の宿場町~
大名らが宿泊する本陣が置かれた武雄の旧塚崎宿。
長崎街道は豊前小倉(福岡県北九州市)と長崎を結ぶ約230キロメートルの道で、途中、25の宿場が置かれていた。脇街道ではあるが、西洋文明の入り口として多くの人びとが往来した。
江戸時代の長崎・小倉間は、7泊8日の旅だったという。その旧街道を小倉からたどると、木屋瀬や飯塚などを経て鳥栖市の田代で佐賀県域に入る。轟木・中原・神埼・境原を過ぎると佐賀城下。さらに西へ小城市の牛津を過ぎ、街道は大村湾沿いのルートと有明海沿いのルートに分岐し、永昌で合流して長崎へ向かう。この分岐したルートの、それぞれの途中にある嬉野と鹿島を脇道が結び、さらにその途中の塩田から北上して北方に続く道もあった。
北方から塩田を通り嬉野へ至るルートは、水害により度々道が閉ざされた。そこで、享保2年(1717年)から変更され、ルートに組み入れられたのが武雄温泉がある塚崎(柄崎)。
温泉場としての武雄は12世紀には開かれており、現在は温泉街の中心部を旧長崎街道が貫く。楼門の近くから旧街道を長崎方面へ向かった「鍵形道路」と呼ばれる道は、敵に攻め込まれた時にその勢力をそぐためのもの。
街道を往来する多くの旅人たちが浸かったであろう武雄温泉は、長い歴史を刻み続ける。唐津市出身の辰野金吾の設計により大正4年に完成した赤い楼門が、町のシンボルとして観光客らを出迎える。
参考資料:武雄市歴史研究会「長崎街道(柄崎宿周辺)みてあるき」武雄市、他
塚崎宿は長崎街道の旅人を温泉で癒やした。
旧街道の面影をかすかに残す新町地区。
アクセス:武雄温泉楼門(武雄市武雄)
紹介スポット:武雄温泉楼門・鍵形道路
移動手段:徒歩