ゆうとくいなりじんじゃ
祐徳稲荷神社
~朱が映える社殿~
ゆうとくいなりじんじゃ
祐徳稲荷神社
~朱が映える社殿~
衣食住の神、稲荷大神を祭る祐徳稲荷神社。
商売繁盛、家運繁栄などの祈願で年間約300万人が訪れるという「日本三大稲荷」のひとつ、祐徳稲荷神社。鹿島藩3代藩主鍋島直朝の妻・萬子が、稲荷大神を勧請したことに始まる。萬子は後陽成天皇のひ孫で、左大臣だった花山院定好と、関白だった鷹司信尚の娘との間に生まれた。
寛文2年(1662年)、37歳の萬子の輿入れの際に父から与えられたのが、邸内に祭られていた稲荷大神の分霊。萬子は、2人の子を若くして亡くしたことをきっかけに出家し、社殿を建てて勧請した。宝永2年(1705年)には、石壁山に自らの墓を築き、80歳で亡くなった。おくり名は「祐徳院殿瑞顔実麟大師」。
南北に延びる多良岳山系のふたつの山並みの谷間に浜川が流れ、西側の山麓に稲荷神社特有の朱色の社殿群が大きく映える。
一対のキツネの像に迎えられ橋を渡り楼門をくぐると、神楽殿や岩崎社の前を通り、上り参道で本殿へ。その横から続く階段を進むと、萬媛命として萬子を祭る石壁社。さらに昭和初期まで稲荷神社の本殿だった命婦社の社殿などを経て、本殿の辺りから300メートルほどで奥の院。社の前からは浜川沿いに続く町並みを一望にする。
社殿群から浜川を渡った所にある「祐徳博物館」では、祐徳稲荷神社や、鹿島藩の歴代藩主などに関する展示を行う。その先の「外苑東山つつじ苑・花園」の展望所からは、谷間を隔てて稲荷神社の社殿群などを見渡すことができる。
参考資料:祐徳稲荷神社HP、他
本殿から山道を上り詰めた奥の院。
岩を掘り築かれた石壁社。
アクセス:祐徳稲荷神社(鹿島市古枝)
紹介スポット:祐徳稲荷神社