ちくごがわ
筑後川
~暴れ川の氾濫の歴史~
ちくごがわ
筑後川
~暴れ川の氾濫の歴史~
豆津橋の上から筑後川の下流側を望む。
筑後川は阿蘇の瀬の本高原に源流を発し、熊本・大分・福岡・佐賀の4県を流れ有明海に注ぐ。中流域で旧筑前国と旧筑後国の境の辺りを抜け、下流域では筑紫平野を筑後平野と佐賀平野に分ける。幹川流路延長約143キロメートル、流域面積約2860平方キロメートル、九州最大のこの川は、筑紫次郎と称される全国有数の暴れ川。
上流部の阿蘇エリアから運ばれてくる火山灰を含む大量の土砂が有明海の広大な干潟を形成し、肥沃な筑紫平野をつくり上げた。それは一方で流域における水害の歴史でもある。記録によれば約420年間に220回ほどの洪水が繰り返された。特に明治22年、大正10年、昭和28年の水害は全流域に被害が及ぶ大規模なものだった。
そのためさまざまな所で水害対策が施されている。流域最大の都市で旧筑後国の国府が置かれた久留米市の中心部周辺では、安武堤防と、その対岸の千栗堤防(佐賀県みやき町)がある。
水の神とされる水天宮は、JR久留米駅から西へ800メートルほどの所。壇の浦の戦いの後、逃れてきた女官が千歳川(現在の筑後川)のほとりに壇之浦で水没した天皇と平氏一族を祭ったのが始まりという。祭神は、天之御中主神および安徳天皇と高倉平中宮、二位の尼の4柱。
社殿のすぐ近くに筑後川が流れ、川沿いの遊歩道の先に豆津橋が架かる。橋上から見た下流側、1キロメートルほど先の福岡県側が安武堤防が築かれた所。
参考資料:水天宮HP、他
東京の日本橋など、全国にある水天宮の総本宮。
水天宮のすぐ横に延びる遊歩道。正面が豆津橋。
アクセス:JR久留米駅(久留米市城南町)
モデルコース:水天宮 → 豆津橋
移動手段:徒歩