潜伏キリシタン長崎
そとめ
外海
~潜伏キリシタン~
潜伏キリシタン長崎
そとめ
外海
~潜伏キリシタン~
信者はひそかに枯松の地に集まりオラショを唱えた。
国内最後の宣教師・小西マンショが殉教したのは、正保元年(1644年)。この時から、禁教下で信仰を続けていたキリシタンらの「潜伏」が始まった。布教が集中的に行われた長崎や天草(熊本県)では、独自に信仰のあり方が模索され、宣教師不在の2百数十年間、絶えることはなかった。
西彼杵半島西岸部、外海地方の潜伏キリシタンは、表面上は仏教や神道に帰依し、ひそかに共同体を維持し信仰を続けた。その対象は、聖画像や観音像、あるいは宣教師に見立てた山の神などさまざま。神社にキリシタンの神を紛れ込ませ、人目の届かない神社でオラショを捧げ、キリシタン暦を用いた。
枯松神社は、全国的に珍しいキリシタン神社。外国人神父のジワンを祭る。集落から坂道を上り続けた森の中の社では、当時の信者らの信仰への強い思いが感じられそう。ジワン神父に師事した日本人伝道師・バスチャンは、身を隠しながら宣教師不在となった外海のキリシタンらを支えたという。彼が住んだとされる「バスチャン屋敷跡」も人里離れた山中に佇む。
明治6年、諸外国の圧力により政府は禁教令を撤廃し、潜伏キリシタンはようやく日の目を見ることとなった。
出津(しつ)教会堂とその巡回教会の大野教会堂は、パリ外国宣教会のド・ロ神父により建てられた。「旧出津救助院」は、苦しい生活を送る人びとを救済するため、神父が私財を投じて築いたもの。
参考資料:「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」長崎県文化振興・世界遺産課HP、他
ド・ロ神父により、町の高台に建てられた出津教会堂。
バスチャン屋敷跡。室内には十字架の祭壇がある。
アクセス:枯松神社(長崎市下黒崎町)
紹介スポット:枯松神社・出津教会堂・バスチャン屋敷跡・大野教会堂
移動手段:クルマ