おごおり・たちあらい
小郡・大刀洗
~大保原の戦い~
おごおり・たちあらい
小郡・大刀洗
~大保原の戦い~
城山の西側に大保原の古戦場跡が広がる。
南北朝時代の正平14年・延文4年(1359年)7月、南朝方の懐良(かねなが・かねよし)親王や菊池氏らの兵が、菊池(熊本県)の征西府から北上した。大宰府による北朝方を攻めるためである。
報告を受けた北朝方の少弐氏は筑後川の北側に、南朝方は南側に陣を張った。7月19日、菊池武光勢が筑後川を越えて攻め寄せ少弐氏が大保原に退くと、しばらくの間そのまま対峙。そして、8月6日夜から約8時間の戦闘の末、南朝方の勝利が決した。この後、南朝方は大宰府に征西府を移し九州における実権を握ることとなった。
西鉄端間駅から400メートルほどの大中臣神社は、懐良親王ゆかりの地。負傷した親王がここで快癒を祈願したという所。その加護により全快したとして、奉納されたフジが今も春ごろに花を付ける。
小郡市役所の隣にある東町公園の一帯は少弐軍が陣取ったとされる場所で、「大原古戦場跡」の碑が立つ。この戦は、「大原の戦い」とも「筑後川の戦い」とも呼ばれているが、実際に戦った木屋行実という武士の軍忠状には、「大保原」との記述があったという。公園の約2キロメートル北側、標高130メートルの城山(花立山)も、少弐氏が陣を置いた所。遊歩道を15分ほど登った山頂からは、戦場となった宝満川流域の大保原エリアが一望。
大刀洗町の町名は、菊池武光が血染めの刀を川で洗ったというエピソードが由来になっている。
参考資料:小郡市教育委員会『ふるさと小郡のあゆみ≪改訂版≫』、他
大刀洗川が流れる大刀洗公園に立つ菊池武光の武者像。
平安期の記録が残る歴史ある大中臣神社の楼門。
アクセス:西鉄端間駅(小郡市福童)
モデルコース:大中臣神社 → 東町公園 → 大刀洗公園 → 城山(花立山)
移動手段:クルマ