下山して上熊本駅へ
雲巌禅寺→御坊山→高橋稲荷大橋→JR上熊本駅
立田山断層
コース上では金峰山が様々な表情を見せる。
雲巌禅寺からの道は、金峰山の西回りの道をたどり、金峰山中腹部を南下し、標識の「熊本港」や「国道501号」方面へ向かう。ミカン畑を目にしながら進むと、緩やかな上りの道が下りに変わる。三差路の突き当たりを左へ折れてすぐに右折すると、木々に覆われた下りの道が続く。南側の外輪山の山々の先に、坪井川と白川が平野部を流れ、その右手には熊本港や有明海の風景。道なりに進めば、やがて坪井川の堤防沿いに延びる国道501号。
金峰山の南側に熊本平野が広がる。
坪井川橋を渡り、300メートルほど走った交差点で県道28号へ左折。平地が広がる中に真っすぐに延びる道路に入ると、右手にこんもりとした緑が見える。小さな森のようだが、海抜23メートルの御坊山。数十段の階段を上った山頂に小島阿蘇神社が立つ。はるか昔、この辺りは海で、御坊山はぽっかりと浮かぶ小さな島だったことが、「小島」という地名の由来。
右手に見える御坊山。左前方には城山や独鈷山。
御坊山から北東方向には、城山・独鈷山・万日山・花岡山・立田山・岩倉山の小高い山々がほぼ直線状に続く。その標高と面積の値は、徐々に大きくなっている。それらの山々と金峰火山との間に、井芹川・京町台地・坪井川が通っているものの、外輪山とこれらの山々との地質は同じ。いずれも安山岩質溶岩や火山角礫岩、凝灰角礫岩といった火山噴出物などから形成されており、元はひと続きになっていたという。
御坊山から続く山々の外輪山側の道をかすめるように、北区清水町辺りまでの約15キロメートルには、立田山断層と呼ばれる活断層が通っていると考えられている。
右手の独鈷山の左側を立田山断層が通るという。
明治22年熊本地震
明治22年7月28日の日付が変わろうとする深夜、熊本市を中心とするエリアで、マグニチュード6.3、震度5以上とみられる大地震が起こった。死者20人、建物全壊239棟などの被害が生じている。地震は、立田山断層の活動が原因という。
これにより、陸軍第六師団が置かれていた熊本城の石垣などが崩れ、高橋地区の家屋や坪井地区の寺院の墓石が倒壊し、芳野地区の地面が裂けた。なお「明治22年熊本地震」は、明治13年に発足した地震学会により、都市部で発生した大型地震として初めての調査が行われたものでもある。
高橋稲荷大橋から見る城山とその先の独鈷山。
県道28号の「下代入口」バス停の先の交差点を左折して、1キロメートルほど直進する。朱塗りの高橋稲荷大橋で坪井川を渡り、「高橋町」交差点を右へ。県道237号を300メートルほど走り、井芹川との合流点近くに架かる橋を渡った所を左折。独鈷山と井芹川の間を進み、交差点を直進すると万日山と花岡山の西側の麓の道。横手地区で県道237号から左斜め前方に延びる道に入り、熊本横手郵便局の前を過ぎると、やがて左手に西山中学校。ちなみに、金峰火山の山々は、熊本市の西にあることから「西山(せいざん)」とも呼ばれる。
立田山方面へ続く井芹川沿いの小高い山々。
そのまま道なりに進むと、明治11年築の吉田松花堂が立つ三差路。左折して路面電車の線路沿いを走り、コースの最初に通った「本妙寺入口」電停を過ぎると、JR上熊本駅が近い。
路面電車の通りの手前の三差路。右が吉田松花堂。
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