水前寺成趣園界隈
「水前寺公園」電停→水前寺廃寺跡→水前寺成趣園
水前寺成趣園
「水前寺公園」電停の近くに立つ案内。
路面電車の「水前寺公園」電停から水前寺成趣園に向かうと、藻器堀(しょうけぼり)川に架かる「水前寺小橋」、その先に出水神社の参道入り口がある。
熊本細川藩初代藩主の忠利が、寛永13年(1636年)、地下水が湧出していたこの地に「国府御茶屋」と、僧の玄宅のために寺を設けた。寺が「水前寺」と称したことから、御茶屋は「水前寺御茶屋」とも呼ばれた。その後、寺は移転し寺号は「玄宅寺」に改められている。寛文10年(1670年)、水前寺御茶屋は茶室と茶庭だけになっていたが、3代藩主の綱利が大規模な庭園造りを行い現在のようになったという。「成趣園」の名称はこの時に付けられた。
水前寺成趣園に続く参道。
かつて参道入り口では、細川藤孝(幽斎)の没後300年を記念して明治43年に建てられた大鳥居が、訪問者を出迎えていた。しかし、「平成28年熊本地震」によって崩れてしまい、その跡も残っていない。
出水神社横の駐車場の片隅に立つ玄宅寺。
参道に入ると、両側に土産物屋などが立ち並ぶ。水前寺成趣園正門の手前で、左の道に入ると、100メートルほどの所に水前寺廃寺跡の石碑が立つ。かつてここにあった古代の寺の跡である。奈良時代の創建で、平安時代まで続いたと思われ、高さ30メートルを超える五重塔を備え、「水前寺」と称していたとみられる。江戸時代のものとは別だが、忠利が建てた寺が「水前寺」と名付けられたのは、この寺によるのかもしれない。背後のコンクリート塀を隔てたすぐそばには、現在の「玄宅寺」が、ひっそりと立つ。
東海道五十三次を模したという庭園。
水前寺成趣園内に入れば、池に阿蘇の伏流水が湧く。園内の見学コースは、20分間ほどで巡ることができる。池に架かる石橋を渡り、芝生の間の散策路を進んで行くと、富士山をほうふつとさせる築山や細川藤孝と忠利の像などがある。能楽殿の前を過ぎた辺りで、池に湧出した清水が敷地外へと流れ出ており、さらに進んだ所が「古今伝授の間」。
古今伝授の間
湧き出す清水は、神水「長寿の水」と呼ばれる。
かつてここは阿蘇山を借景にした回遊式庭園で、壮麗な建物もあったという。しかし6代藩主重賢の時、藩財政再建のための宝暦の改革で、茶室の「酔月亭」だけを残して他の建物はすべて撤去された。明治10年の西南戦争では酔月亭も焼失している。古今伝授の間は、元は京都御所にあったもので、後陽成天皇の弟である八条宮(桂宮)智仁親王の書院兼茶室だった建物。藤孝が、智仁親王に『古今和歌集』に関する奥義を伝授したという場所でもある。現在の京都・長岡京市の長岡天満宮に置かれた後、細川家に与えられ、大正元年に成趣園内の酔月亭跡に移築復元された。
湧水は成趣園の南側で敷地の外へ流れていく。
時代の移り変わりと共に水前寺成趣園の周辺には建物が増えているものの、園内には優美な風景が残る。かつて酔月亭が置かれ、現在、古今伝授の間が立つ場所は、築山や清水が湧き出す池などをひと目にできる、庭園美が最も楽しめる位置とされる。
水前寺成趣園が一般に開放されたのは明治時代から。その後、熊本を代表する観光スポットのひとつとなった。
古今伝授の間から見る景観。
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