下江津湖から江津塘へ
熊本市動植物園→自然観察園→下江津橋→下江津菅原神社→江津塘→熊野宮
湖畔の散歩道
さまざまな風景を見せる江津湖。
湧水の背後にゲートが見えるのは、熊本市動植物園の南門。約120種600頭の動物と、約800種5万点の植物が飼育・保護・展示されている、遊園地などもある湖畔のレジャースポットだ。
園内にはライオンやカピバラ、ペンギンたちも。
コースは動植物園の敷地沿いに延び、運が良ければ柵越しにゾウやキリンの姿を目にできる。動植物園沿いの道から公衆トイレの前を過ぎると、車止めの先に400メートルほどの道が一直線に延びる。
自然観察園の「ハイド」から見る野鳥の群れ。
「水前寺江津湖公園(広木地区)」の標識を過ぎてしばらく歩くと、右手に自然観察園の木道がある。江津湖では、約3000羽の渡り鳥が冬を越し、サギやカモ、シギなど、四季折々の野鳥たちを観察できる。自然観察園では「ハイド」というのぞき窓で、バードウォッチングも可能だ。
車道沿いの歩道に出て右へ進むと、すぐに下江津橋。橋の上からは、下江津湖の全容が広がる風景の中に、動植物園の観覧車が小さく見える。
下江津橋からの眺め。左側に江津塘が続く。
清正の堤防
下江津橋の下流300メートルの辺りで、加勢川は東から流れてきた川と合流する。その上流1キロメートルほどの所では、秋津川・木山川・矢形川の3つの川がひとつの川になる。水前寺成趣園、江津湖の湖畔や湖底で地下水が湧出し、有明海の潮汐作用によって海水がさかのぼってくることもある。加勢川は水量が豊かな川であり、周囲の田畑に水を供給する一方で、水による災いももたらしてきた。
無田川に沿って道が延びる。
下江津橋を渡ると県道103号との交差点。横断歩道を渡り、さらに直進し、階段を降りたら右へ、無田川に沿って歩く。
江津湖周辺は、元は湧き出した地下水が流れ出ていた沼地だった。加藤清正が堤防を築き、水をせき止めたことで江津湖が形成された。この堤防が、「江津塘」または「清正堤」と呼ばれるものだ。江津塘は加勢川右岸を下流へ続き、川尻の町まで十数キロメートルに及ぶ。加勢川の北側、無田地区から西へ、広大な耕作地や集落を生み出した。ただし、この地に住む人びとの水害による苦難は続き、ようやく改善されるようになったのは、昭和50年代のこと。
無田川の先に広がる水田。南を加勢川が流れる。
無田川沿いの道は右手に住宅街、左手は川越しに水田が広がっている。左斜め前方に金峰山地を望み、水田は川尻の辺りまで遠く続く。途中、県道236号を渡り、さらに道を真っすぐ進む。左側には変わらず川越しに水田が見え、やがて道の両側が住宅地になる。
江津湖の西側に広がる、現在の出水・画図・田迎・御幸地区は、江戸時代には「江津牟田新地」と呼ばれていた。慶長13年(1608年)の新田検地帳が残されており、慶長5年ごろに新田開発の工事が、清正により開始されたと考えられている。
江津塘
下江津菅原神社の辺りには水が落ちる音が響く。
一直線の道がT字路に突き当たる所まで来たら、右へ。下江津菅原神社の前から境内沿いに道をたどり社殿の横で左折すると、正面に高さ3、4メートルほどのコンクリートの壁が見える。壁の上に道路が通り、その先が下江津湖。壁の高さに江津塘の存在が実感できるようだ。
江津塘の道路に上がると、左側に歩道が延びる。画図橋を右にして通り過ぎ、さらに進むと江津斉藤橋が架かる国道57号の交差点。その手前から国道の下をくぐり、上江津湖の水辺に降りる階段へ向かう。
上江津湖右岸の遊歩道で見る湖の様子。
上江津湖の右岸の水際に延びる遊歩道は、左岸の道と異なり道幅が狭く人けも少ない。落ち着いた雰囲気が漂い、時折水面に浮かぶ水鳥も見掛けられ、湖をより身近に感じられそうだ。ボート乗り場がある駐車場まで来たら、塘の上の道路に出る。クルマに注意して100メートルほど歩き、右側の林の中の道へ。
ゾウの滑り台の対岸は塘の様子が分かりやすい。
水際の歩道は木々の中に延び、水草などが間近に茂っている。一部に木道が敷かれ、先ほどの水際の道とは異なり、加勢川の流れを感じられる区間だ。対岸に「ゾウの滑り台」が見える辺りまで来たら、塘に上がり、クルマの通行に十分注意し、逆Y字の交差点に出て右へ向かう。
「出水ふれあい通り」と名付けられた県道103号を直進して行くと、左側の歩道沿いに熊野宮の小さな社がある。境内に大きな石が置かれているのは、肥後国分寺の七重塔に使われていたという礎石だ。
七重塔の礎石だったという熊野宮の大石。
江津塘が築かれるまで、一帯には沼地が広がっていた。現在の水前寺成趣園や熊野宮の辺りで、季節の草花が咲き、たくさんの野鳥が飛び交っていたのだろう。「古代の水前寺」の五重塔が立っていた奈良時代、隣接して国分寺があったという。そこにも七重塔が立ち、当時の肥後国の中心地として、華やかな光景をこの地に暮らす人びとに見せていたのかもしれない。
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