細川家のしたたかさ
平成29年秋の衆議院議員総選挙の報道で、小池百合子東京都知事や旧民進党の何人かのメンバーが、かつて日本新党の仲間だったことを知りました。日本新党が発足したころ、東京・港区の伊皿子坂に「日本新党」の大きな文字が掲げられていたのを思い出します。熊本の人が日本新党と聞いて思い浮かべるのは、党首で内閣総理大臣だった細川護熙さんでしょう。細川さんの名前が首相候補に挙がった時、驚きと共に、したたかさを感じさせられました。
細川家のしたたかさといえば、藤孝・忠興・忠利の3代です。藤孝は足利将軍の義晴・義輝に仕え、義昭と織田信長が対立すると信長に従いました。本能寺の変では、幽斎の盟友であり忠興の義父に当たる明智光秀に加勢せず、共に剃髪して秀吉の味方をしています。後に忠興は徳川家康にも仕えました。その子の忠利は熊本54万石という大藩を与えられ、細川藩は明治維新まで存続しています。
ところで、熊本では細川氏よりも加藤清正の存在感が圧倒的に強いように感じます。清正の治世が23年間に対して、約240年もの間、藩主だったにも関わらず、です。熊本で11人の細川藩主の名前を知っている人がどれだけいるでしょうか。11人の藩主にスポットライトを当ててあげられるのは、熊本の人しかいないでしょう。しかし一方で、むやみに目立たないというのも、細川家のしたたかさの表れのような気がしないでもありませんが……。