坂本龍馬の沼山津訪問
文久4年(1864年)2月、英仏蘭米による四カ国連合艦隊の長州攻撃を猶予させるため、勝海舟は幕府より長崎出張を命じられました。それに同行したのが坂本龍馬です。一行は神戸から船で九州へ向かい、当時熊本細川藩の領地だった豊後大分の佐賀関に上陸しました。さらに鶴崎や久住、内牧などを経て、熊本城下の新町(中央区)で宿を取っています。その後、高橋(西区)から川舟で河口まで下り有明海に出て、渡海して明け方に島原に到着しました。この島原への上陸が、龍馬にとって初めての長崎訪問となりました。
道中、龍馬は勝に使いを頼まれて2度、横井小楠を沼山津(東区)の自宅に訪ねています。1度目は金銭を届けるため、2度目は勝の海軍塾に入門する小楠の親族3人を連れて帰るためです。翌慶応元年(1865年)、鹿児島からの帰途に立ち寄ったのが3度目の訪問でした。しかしその時は小楠との間に長州についての意見が対立し、不幸にも決別してしまいました。その年に龍馬は、長崎で海援隊の前身となる貿易会社の亀山社中を設立し、反目していた長州藩と薩摩藩を結びつけようと奔走します。
長崎出張を終えた帰り道、有明海の船の上で金峰山地を見ながら、城下町で熊本城の威容を目にしながら、龍馬は何を思ったのでしょうか。沼山津で小楠に会った後、何を考えていたのでしょうか。薩長連合まで1年9カ月、大政奉還まで3年6カ月の、元治元年4月のことでした。