乃木大将と軍旗喪失
東京の赤坂に乃木坂があります。この坂の名前の由来は、もちろんアイドルグループではありません。近くに住んでいた、乃木希典という軍人によるものです。乃木は嘉永2年(1849年)に江戸の長州藩邸で生まれ、萩(山口県)の明倫館で学びました。18歳の時に、報国隊砲兵隊長として幕府軍と戦っています。
西南戦争が勃発したのは、その11年後の明治10年です。小倉営所第14連隊隊長の乃木は、援軍のため部下の河原林雄太少尉らを引き連れて、熊本城へ向かいました。約10キロメートル手前の向坂(北区植木町)で薩摩軍と遭遇し、一進一退の攻防の後、撤退を決めます。その際、河原林に託した軍旗が薩摩軍に奪われてしまいました。乃木が29歳の時です。その後、日清・日露戦争などに出陣し、さらに陸軍大将にまで上り詰めるものの、軍旗喪失の件は死に値する大きな傷となっていました。乃木は学習院院長だった大正元年9月13日、明治天皇の大葬で棺が宮城(皇居)から出発する際の号砲を合図に、乃木坂の自宅で静子夫人と共に自刃しました。64歳でした。遺言の最初に記されていたのは、軍旗喪失のことです。「明治十年之役ニ於テ軍旗ヲ失ヒ其後死處得度心掛候も其機を得ず」
かつて勤めていた横浜の会社に、学習院大学出身の女性がいました。ある日の飲み会でこの話をしたところ、「へぇー、そうなんですか、お詳しいですね」と笑顔で言われて会話が終わったことがありました。