「森の都」
夏目漱石が池田停車場(現在のJR上熊本駅)に到着したのは、明治29年4月でした。迎えに来た菅虎雄宅に人力車で向かう途中、新坂からの風景を見て「森の都」と口にしたとされていますが、本当に漱石が言ったということを証明するものはないそうです。ちなみに、漱石が熊本を離れた7年後の明治40年の夏、旅の途中の与謝野鉄幹ら5人も、上熊本駅から人力車に乗って、漱石が見たものと同じような風景を目にしています。紀行文の『五足の靴』に、次の記述があります。「坂の上から下の市街を展望すると、まるで森林のようである。が、巨細に見ると、瓦が見えて来る、甍が見えて来る。板塀が見えて来る、白壁が見えて来る。『ああ、熊本はこの数おおい樹の陰に隠れているのだな。』と思いながら、彼方の空を眺めると、夕暮の雲が美しく漂っていて、いたく郷愁を誘われる」
漱石は、東京に生まれ育ち、東京帝国大学を卒業し、愛媛県松山市で過ごしていました。彼にとって、大陸に最も近い九州の、日本屈指の軍事都市だった熊本は、どんなイメージだったのでしょうか。どんな思いで熊本行きを決めたのでしょうか。日清戦争が終わった翌年、どんな気持ちで新坂から町の風景を見ていたのでしょうか。
熊本を離れた8年後の明治41年2月9日付けの新聞のインタビューで、漱石は次のように答えていました。「新坂にさしかゝると、豁然(かつぜん)として又驚いた、而していゝ所に来たと思つた」