小野小町と清少納言の父
小野小町と清少納言は、日本の歴史に名を残す平安時代の歌人ですが、ふたりの父親は熊本市にゆかりのある人たちです。
小野小町の父親は、一説に小野良実といわれています。良実の父である小野篁が遣唐副使の際、大使の藤原常嗣の身勝手な振る舞いを非難したところ、嵯峨上皇の怒りを買い隠岐の島(島根県)へ配流となりました。その連座とも虚言によるともいわれる良実の現在の北区植木町への配流は、約1年間に及んだようです。良実が、横山という小高い山の山頂に、いつものように登ったある日、「麓の社に七つの神を合祀するように」とのお告げがありました。その社が、小野泉水公園の七国神社です。園内には小町像を祭る「小町堂」が立ち、池に地下水が湧きます。ちなみに、公園の住所は「植木町小野」です。
清少納言の父親は、清原元輔です。元輔は、肥後国を治める国司として派遣され、この地で生涯を終えたようです。藤崎八旛宮の境内では、「藤崎の軒の巌に生ふる松 いま幾千代の子の日過ぐさむ」という作品が歌碑に刻まれています。社がかつて藤崎台球場の地に置かれていた時の催しで、元輔が詠んだとされる歌です。JR熊本駅近くの北岡神社の裏手、住宅街の片隅に清原神社がひっそりと立っています。ちなみに、清少納言の「清」は名字の「清原」から取られたもので、また元輔の子孫に宣賢という人がいますが、その娘の子が細川藤孝(幽斎)です。