江戸と平成の災害対策
東日本大震災が起こった翌月、読んでいた勝海舟の『氷川清話』に、東北で起きた津波被害について述べられていました。そこには、明治政府のやり口が手ぬるいから死ななくてもよい人たちが死んでしまうとあります。さらに、徳川時代なら小屋を建てて炊き出しをして、誰でも惜しげもなく食わせる。そのための備えとして「チヤンと天災時の用意がしてあつて、何処へ行きてもお蔵米がかこつてある」とも記されていました。「お蔵」とは、年貢米などを収めておく倉庫のことです。現在はほとんどなくなっていますが、全国で4つが確認されています。そのうちのふたつは熊本県内に所在するものです。ひとつは宇土市の会社の所有ですが、もうひとつは南区川尻に残されており見学も可能です。
「平成28年熊本地震」では、令和2年9月11日現在、関連死を含めた273人が命を落とし、4万棟を超す家が全半壊しました。国内外から熊本県などに寄せられた義援金は、平成31年1月11日現在で520億円を超えています。熊本市では大規模地震などに備え、飲料水の確保が困難な場合は他の都市や団体に応援を要請することになっています。食糧は市の防災倉庫や区役所などに保存食を備蓄し、スーパーから調達するなどの対策も講じられています。
国や都道府県などの行政機関や、国内外の人びとの支援により救われた命も少なくないでしょう。それを今回の地震で改めて実感できたように思いました。