【案内編④】夏目漱石ゆかりの地
夏目漱石が熊本に来たのは明治29年4月、熊本を離れたのは明治33年7月でした。その間に漱石が過ごした、市中心部のゆかりのスポットをご紹介します。
池田停車場(現在のJR上熊本駅)に降り立った漱石は、友人の菅虎雄宅のある薬園町へ人力車で向かいました。その途中、新坂から見た風景を「いい所に来たと思った」「実に美観だと思った」と、後に振り返っています。坂を下り切った交差点を右折して200メートルほどの所が、「夏目漱石内坪井旧居」です。「熊本城・市役所前」電停からは1キロメートルほどです。熊本での漱石は、当初菅宅で過ごした後、6軒の家に移り住みました。現存する3軒のうちの1軒がここです。この家から五高、現在の熊本大学まで通っていました。その道の途中からの名称は、漱石より以前に五高に勤務していたラフカディオ・ハーンにちなむ「八雲通り」です。熊本大学内には、当時の校舎が「五高記念館」として残されています。
八雲通りの途中、「子飼商店街」の程近くに、漱石が熊本で最後に住んだ家があります。通りから外観を見ることは可能です。また、白川に架かる明午橋下流の対岸辺りにも、漱石が住んだ家がありました。現在、水前寺成趣園の裏手に移築されている家です。さらにもう1カ所、下通と銀座通の交差点近くに立つビルの壁面に掲げられているのは、結婚した時に住んでいた、光琳寺の家を示すレリーフです。