【案内編②】加藤清正ゆかりの地
天正16年(1588年)、肥後半国の領主として27歳の加藤清正が隈本城に入城しました。隈本城は鹿子木親員(寂心)が築城したものです。その後、城氏と佐々成政が城主を務め、清正も20年間近くを過ごしました。清正が新たに築いた熊本城に対して「古城(ふるしろ)」とも呼ばれます。熊本城の西側にあった城で、「古城堀端公園」に堀跡などが残されています。
西側の通りに路面電車が走っており、公園から400メートルほどの所に「蔚山(うるさん)町」という電停があります。一説に、文禄・慶長の役の帰国の際、清正が朝鮮の人びとを連れ帰り、この辺りに住まわせたことから名付けられたそうです。
「蔚山町」電停からJR上熊本駅方面へ3つ目の「本妙寺入口」電停の交差点で県道1号に入り、新幹線の高架下を過ぎます。永運橋で井芹川を渡り、正面に見える巨大な仁王門の先に続く本妙寺参道の奥の右手が大本堂です。本妙寺は、清正が摂津(大阪府)時代に父の追善のために建てたものです。肥後入国に伴い現在の熊本城の法華坂を上がった所に移転され、さらに清正の死後、現在地に移されました。「胸突雁木(むなつきがんぎ)」と呼ばれる長い石段を上り詰めると、清正を祭る浄池廟があります。廟舎が立つその場所は、熊本城の天守閣と同じ高さだといわれています。廟舎裏手の森の中に続く階段を上って行けば、長槍を手にした清正の像が、立ちはだかるように出迎えてくれます。